ありのままに知ることから。
久しぶりの夏のポイント、特にサンゴが美しい御神崎・・のはずだった。
・・予想どおり、10月の台風の大きなうねりで一部のサンゴがみごとになぎ倒されていた。
この時のうねりの力は相当のモノだったようなので、
浅い斜面に群生しているサンゴはひとたまりもなかったのかもしれません・・。
自然界の大いなるシステムの中で起こった出来事です。
日々、海に潜るシゴトをしていると、年々海の中の風景が変わっていくのを目の当たりします。
昔のあまりにも美しい風景の感動の印象が残ってる分、
潜っていると、言葉にはいい表せない様々な感情が出てくることがあります。
美しいサンゴの群生がその姿を変えていくのは本当に本当に残念だけど、
この変化も、今の確かな事実であり現実。
その変化に対して、出来る限りジャッジをせずに見つめていたいと思っている。
感情の中でそれらを見ていると、今のありのままを見つめることが難しくなるから。
物事に対する「悲しい/喜ばしい」とか、
「いい/悪い「正しい/間違っている」「ネガティブ/ポジティブ」・・
などというジャッジは、色んな感情を呼び起こします。
そして、時にはその感情が思いがけないドラマを創り出していきます。
例えば、正義をつくりあげることで、悪も同時に作ってしまう・・というように。
海の中には色んな変化が起こっているけど、
当然ながらそこに暮らしている生物たちは、ジャッジを必要としない。
ジャッジをしているのは人間であり、そこから感情が芽生え、海の中に様々なドラマを作るのです。
自然環境に関する問題の中には、様々な定説や、善悪が生まれ、
色んな立場での様々な想いや定義や正義や、様々な考え方が渦巻いています。
そして、悪者と決めた命を排除することに必死にすらなるワタシタチ人間。
なんだか・・自分たちのことながらちょっと滑稽に思えてきます。
今起こっているひとつの事実(現象)をありのままにただ知る(見る)というとらえ方。
そうすることで、誰もが同じ答えを持つことができます。。
その事実をジャッジせず感情的にならずに、誰もがまずはただ知ること。
なんだか、全てはまず そこから始まる気がしています。
今回の台風によるサンゴの破壊。
たどっていけば要因とかは色々あるのでしょうが、
地球という一つの生命体の中で起こる様々な出来事のうちのひとつ。
という解りやすい事実にたどりつきます。
海から生まれた人間の祖先。ワタシタチも自然の中の小さな一部。
ワタシタチ人間の命も、海を含めた自然界や地球の生命システムも、
自分たちの力を超えた大いなる力で生かされています。
そして、その自然の中の生命力は日々起こる事態を淡々と受け止め、
次に向けた流れをまた作るというのを昔から繰り返してきたのでしょう。
もしかしたら人の寿命からするととてもはかりしれない大きなスパンなのかもしれない。
しかし視点を変えてみると、多様な命のスパンが存在する自然界において、
ワタシタチ人間の視点は、小さな小さな点にしか過ぎないのかもしれない。
大いなる自然を前に、
その小さな点・・ひとつの視点の枠の中からまず出てみること。
今、起こってることへのジャッジを捨てて、ただありのままに見つめてみる。
そして、人間の都合や視野というひとつの視点からもっと拡がり、
大きくフラットに拡げていく・・。
そうすることで、多くの人達が、
大いなる自然の流れをひとつの生命力として信頼できるようになったらいいな、と思います。
そしたら今よりきっと、海や自然をもっともっと深く心の底から尊えるでしょう。
そしてこの心から尊いと思う自然の流れそのものに介入しない生き方を、
多くの人が心の内側から実践したくなるのではないかと思います。。
今、自然の中で起こっていることをありのまま伝えていくことから。
その変化も含めて、ジャッジせずに、ありのままに、大きく多角的なフラットな視点を持って。
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