自然という存在。
2009年07月27日
私にとってコトバなんて、ヒトとヒトのコミュニケーション手段のほんの一部のアイテムでしかないように感じてる。
耳で聞こえるコトバの世界や目に見えるソレなしでも、ココロとココロのやりとりの中で、
ヒトは温かくなったり、癒されたり、確実にするのだと・・。
それは、美しい海や自然の中で、ヒトが癒しを感じるのと似ている気がする。
八重山に来るタクサンの人たちが求めるモノ。自然のエネルギーやヒトの温かさ・・・。
自分にまっすぐに生きているヒトと一緒にいると、まるで自然の中にいる様に心地いい。
ココロが解放されたり、温かい気持ちになったり、後ろ向きだったココロがシャンと前を向きはじめたりする。
よく考えて見ると、ヒトも自然の一部なのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
周りにとらわれず、自分に正直に、まっすぐ生きるコトが難しいから、
不自然な自分や周りに、ヒトはクタクタに疲れてしまう。
周りの誰かや自分に嘘をついたり、不自然な疲れた自分には、
ヒトを癒すことも、そして本当の意味で自分が癒されるコトも、出来ないはず・・。
自然体で生きずらい、この世の中、
みんなが沖縄や八重山の自然を求め、ヒトとヒトとのつながりを求めたくなる・・。
つまり、のどが渇くと水が飲みたくなるように、自然を自分の中に取り入れたくなる。
まず、自分が自然になること。いろんな体裁や物事の表面的なコトに惑わされず、
自分のココロを一番大切にし、信じる。
本来の自分そのままに生きていこうとすることで、結果、自分も、そしてヒトをも 癒すことが出来る・・。
ちほずデイリー日記 2003/8/29の日記より。
耳で聞こえるコトバの世界や目に見えるソレなしでも、ココロとココロのやりとりの中で、
ヒトは温かくなったり、癒されたり、確実にするのだと・・。
それは、美しい海や自然の中で、ヒトが癒しを感じるのと似ている気がする。
八重山に来るタクサンの人たちが求めるモノ。自然のエネルギーやヒトの温かさ・・・。
自分にまっすぐに生きているヒトと一緒にいると、まるで自然の中にいる様に心地いい。
ココロが解放されたり、温かい気持ちになったり、後ろ向きだったココロがシャンと前を向きはじめたりする。
よく考えて見ると、ヒトも自然の一部なのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
周りにとらわれず、自分に正直に、まっすぐ生きるコトが難しいから、
不自然な自分や周りに、ヒトはクタクタに疲れてしまう。
周りの誰かや自分に嘘をついたり、不自然な疲れた自分には、
ヒトを癒すことも、そして本当の意味で自分が癒されるコトも、出来ないはず・・。
自然体で生きずらい、この世の中、
みんなが沖縄や八重山の自然を求め、ヒトとヒトとのつながりを求めたくなる・・。
つまり、のどが渇くと水が飲みたくなるように、自然を自分の中に取り入れたくなる。
まず、自分が自然になること。いろんな体裁や物事の表面的なコトに惑わされず、
自分のココロを一番大切にし、信じる。
本来の自分そのままに生きていこうとすることで、結果、自分も、そしてヒトをも 癒すことが出来る・・。
ちほずデイリー日記 2003/8/29の日記より。
Posted by chiho at 09:11│Comments(0)
│ひとりごと。