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映画『Canta! Timor』

2013年01月20日

この映画を観て、
自分の奥深くにある軸みたいなものと共振してる感じがしていた。

「Canta!Timor」

ストーリーはコチラ






  人類はひとつの兄弟なのさ。母一人、父も一人。大地の子ども。
  憎んじゃだめさ、叩いちゃだめ。戦争は過ちだ、大地が怒るよ。


この映画の中で、家族と隣人の境界はもちろん、
国の違い、敵味方、人種の違いすらも境目なんて存在しないよ・・
というスタンスをたくさん垣間見た。

それは思考の中のキレイゴトではない。
確固たるただのスタンスだ。


悲しい。いつまでも悲しみは消えない。でもそれは怒りじゃない。

映画の中で、自分の家族や仲間をむごい形で虐殺され、
レイプを繰り返してきた軍の兵士たちと対話し、
そして、捕虜となったこの兵士達には説得をして無傷で帰し味方につけた・・
というエピソードが出てくる。

だけどそれは・・
心のどこにもその境目が存在しないからこそ立てる、
まさに許しと慈しみのスタンス。


あなたとわたしの境界線がないってこと。
「家族何人?ってきくと368人とかって返ってくる」
っていう会話からも解るけど、
自分と他人はまさしく境目無く繋がってるってこと。
そしてそれは、
どんな悲しい思いをさせられた敵が相手であっても・・・。



何が正しいかは、人間じゃない。大地が知ってくれてる。


その境界線のないスタンスは、
大いなる大地や自然界との繋がりを意図的に自分の中に持つことで
脈々と育まれるのではないか・・。
それはとてつもなく安心できるゆりかごとなって
自分の存在をまるごとおおらかに包みこんでくれるはず。
コトバで考えるのではなく、感じたままが答えになる。

自然界に存在する目に見えるモノ見えないモノ・・
この国ではシャーマンが、
精霊など目に見えない存在をも大切に敬って人と共に生きる。
よくある優劣や支配関係ではなく・・敬意をもって自然と共に生きるという関係。
そんなバックボーンがあるからこそ、この国の人達は強いのかもしれない。
武力や暴力とはまるで違う意味の強い力。



映画『Canta! Timor』



この小さな国が、あまりにも巨大な軍を撤退させ、
独立に至った奇跡は、許しの戦略にあったといわれている。

だけど、この戦略には外側に敵はいない。
あるのは、悲しみと真っ正面から向き合うという心の内側の戦い。
なぜならば、とてつもなく深い悲しみを「怒り」にすり変え、
報復と称して外側の敵と戦うのが滑り台を降りるくらい簡単な方法だと想うから。。
発狂してしまいそうな深い悲しみと正面から向き合い
「怒り」ではなく「慈しみと許し」に変えることを選択できる勇気と強さ。

それは、自然と繋がってる生きてるからこそ
育まれた強さなのかもしれない。

自然界には矛盾がない。
あるのは淡々と流れている大いなる力と完璧なシステムだけ。
それらをちゃんと感じて知り受け容れることができると、
自然界の一部であるワタシタチ人間も暮らしの中で優劣や支配、
そして分離のスタンスを少しずつ手放せる。
その大いなる自然や人と共存して生きるスタンスを選べば、
きっとそこには争いではなく、
慈しみと平和と幸せがたくさん生まれる気がする。

自然界を敬うと言うことは、
自然の一部であるジブン自身をも敬うこと。
そして自身を敬うことは、同じ人間である他人を敬うこと。
なぜならば、すべてはもともと1つのものだったから。


映画『Canta! Timor』



名前も知らなかった国で起きていたこの驚くべき事実。
そして、残酷な軍の殺戮に間接的に日本も荷担していたというあまりにも衝撃的な事実。
観ていて胸が詰まり重苦しい気持にもなった。

でも・・・・この国の人達のスタンスに学び、
世界の為にできることは沢山ある。自分の内側で、そして今の暮らしの中で!!
自分の内側に与えていくクリアなものは、外の世界にも同じように反映されるから。
自然の法則に矛盾なく心幸せに生きることが、遠い世界の国々にも確実に反映される。
それが大いなる自然界の法則だから。

ワタシがこの映画から受け取ったメッセージ。


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Posted by chiho at 16:40│Comments(7)映画
 
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